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剣聖髙野佐三郎先生頌徳碑

更新日:6 日前


剣聖高野佐三郎先生頌徳碑

荒木貞夫書


 

剣道範士高野佐三郎豊正先生は文久二年六月二日埼玉縣秩父郡大宮町高野芳三郎氏の長男として呱々の聲を挙げられた 先生は天資頴悟幼少の頃祖父高野佐吉郎苗正翁の薫陶を承け慶應二年三月五歳の時忍藩主松平下総守の御前に於て苗正翁と小野派一刀流組太刀五十六本を演じ不出世の天稟を激賞せらる 爾来剣道修行に精進する事実に八十有餘年遂に一世を風靡して我が國の剣道界に君臨せられるに至った 明治十九年警視庁剣道教師を拝命し明治廿九年東京麹町九段下に明信館本部を設立し又日本体育會の結成並に大日本武徳會の創立に協力貢献せられた 明治四十五年大日本帝國剣道型制定の主査委員として薀蓄を傾け大日本武徳會々長大浦兼武氏より特に感激の賞詞を贈られ大正二年武徳會最高栄誉たる剣道範士の称號を授与せられた 明治四十一年東京高等師範学校長嘉納治五郎氏の懇望により同校剣道科講師に就任し昭和十一年勅任教授に進み正四位に叙し勲四等瑞寶章を授けられた 蓋し剣道家として古来その例を見ざるところである 又明治四十三年以来早稲田大学剣道師範として同大学剣道部育成に努め同部をして学生剣道界に重きをなさしめ更に埼玉神奈川両縣の武徳會支部陸軍戸山学校陸軍士官学校海軍機関学校等の剣道師範となり其の間全國各地の学校並びに団体より屡々聘せられて講習指導を行ひ剣道の普及発展に寄与せられた功績に頗る大なるものがある 先生は従来の剣道指導法を教育的に検討の上終に剣道基本教授法を創制して之が合理化を図り特に学校剣道を近代的形式に整備せられた 大正四年多年に渉る研究工夫の成果を結集して名著剣道を世に公にしたが恰も大旱に於ける慈雨の如く剣道界の待望に適ひ大いに斯界を啓蒙裨益する所があった 先生の演武たるや姿勢態度は端麗高雅進退屈伸は無礙自在技法術理は精妙巧緻を極め之が渾然一体となって観る者をして芸術的感激に陶酔せしめ齢古稀を超えて猶矍鑠親しく道場に立ち後進を指導して飽くことを知らず 門下生萬餘を数え一代の師表と仰ぎ慕はれ

 天覧 台覧 の光栄に浴すること数回に及んだ 昭和二十五年十二月三十一日鎌倉稲村ヶ崎に八十九歳の天寿を完うして輝かしい生涯を終へられた 菩提寺は秩父大宮の広見寺である 先生の我が國剣道界に貢献せられた偉大な功績を称へ其の徳を永く後世に伝へるために門下生並に有志相謀り茲に秩父神社境内の地を卜し 先生の頌徳碑を建立する所以である



昭和三十年五月二十一日

門下生  剣道範士   佐藤卯吉 謹選

     建設委員長剣道範士   白土留彦


【裏面】

故高野佐三郎先生頌徳碑建設代表委員


東京都

 笹森 順造   大澤 龍   小川忠太郎   栗原友三郎

 佐藤 貞夫   髙橋 英   渡辺 太吉   鶴見 岩夫

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